吉田松陰

個人情報保護法は「生存する個人に関する情報」が対象ですが、ここの人物情報は、故人の情報が殆どです。そうでない人についても公的な情報しかありません。 国語史グループとの差別化も考えて、オープンにしました。

吉田松陰

PDD図書館獨澄旻さん)の人名辞典(http://www.cnet-ta.ne.jp/p/pddlib/biography/frame.htm )旧版には次のようにあった。

よしだ しょういん(1830〜1859(安政 6))◇江戸末期の志士・長州藩の下級武士。名は矩方(ノリカタ)、字は義卿、通称は寅次郎、別号は二十一回猛士。10歳で藩校明倫館で講義を行った。特に山鹿流の兵学に通じ、1851(嘉永 4)江戸に出て佐久間象山(サクマ ショウザン)に洋学(砲術)を学んだ。1853(嘉永 6)ペリー来航を機に幕府にいきどおり尊皇攘夷にめざめ、1854(安政元)ペリー再航の際に密航を企て下田沖の米艦に乗り込み、失敗して藩に幽。萩に松下村塾(ソンカソンジュク)を開いて高杉晋作(シンサク)ら尊攘派志士を教育。1858(安政 5)幕府の日米修好通商条約調印に関して閣老間部詮勝(マナベ アキカツ)の要撃を謀って捕らえられ(安政の大獄)、翌年江戸で斬刑。(*)1830(文政13),12.10より(天保元)。

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