東洲斎写楽

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東洲斎写楽

http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/uwazura/daijinmei/to/to007.html

トウシウサイ シャラク 東洲齋寫樂 浮世繪師、錦繪の黄金時代ともいふべき寛政時代に出た人で俗稱を齋藤十郎兵衛と呼び阿波藩邸のお抱への能役者であつた。製作は大抵役者繪でその以外の題材にまで及ばなかつたが當時の版畫家中最も注目すべき一人である。役者繪としては最も特色ある描寫法に一新様式を立て勝川春章以來急に發展して來た役者繪を更に發達させた人である。その作風は春章流の寫生よりも更に進んで役者の表情とその個性とを描出することに努めたものでよほど性癖などを誇張してゐる点もあるが個性を判然と現はし得た点は特筆すべきである。元來の役者繪は役者に同情して頗る美化して画いたが寫楽の繪は細繪でも大錦でもみな批評的で且つ皮肉誇張的で赤課々で全く他の企て及ばない特色を持つてゐる。それが寫樂の興味の一部である。能役者である彼れには色々役者の欠点も見えて批評的な描寫を敢てしたのであらう。寫樂は役名の或る刹邦の面白い態度を捉へるに巧みでそれを描くにそれぞれ最も適當な描寫法を以てした。彼れはまた色彩の用法にも頗る注意し背景に雲母を用ひたのは寫樂一流の人物な浮き出させて見せるにはよい工夫で之れによつて荘重な趣な加へたことは大きな成功である。彼れの作画期に長くないと云はれる割合に作品の数が多い。神戸松方幸次郎氏の藏品中のみでもそれの版画は八十点を数へることが出來る。浮世繪類考?には彼れが好んで描いた俳優は五代目白猿(市川團十郎)松本幸四郎(後宗十郎)岩井半四郎瀬川菊之丞(中村富十郎)大谷廣次、中村助五郎、大谷鬼次、中村仲藏等の半身で彼れは余り眞を画かんとして「あらぬさまに」画いたため長く世に行はれす一両年にして止むとありまた式亭三馬はこれに註して僅かに半歳余行はるるのみといふてゐる。然しクルトの著「寫樂」には天明七年から寛政七年まで約九年間製作したりといひまた或る人の説では寛政三年から十二年までといふのもあつて確實なことは判らないが作品の多く遺つてゐるところを見ると當時に於ても相當歓迎されたことが想像される。そして寫樂の断筆に就いては人氣を專一にする役者が迷惑して蜂須賀侯に手を廻はして彼れに役着繪をかかせないやうに所謂筆どめしたと思はれるふしもある。寫樂は獨特の天才者であるからこれの後継者として其の衣鉢を襲いだ者はないが然し役者繪界に大きな刺戟を与へ歌川豊國の如きもたしかに彼れに學ぶところが少くなかつた。寫樂は好んで皮肉な役者繪を描いたので役者仲間から嫌はれ遂に闇打に遭ひ片腕を斬り落されたといふ逸話もあるがその事實は疑はしい。大正十四年六月鳥居龍藏博士は徳島市寺町日蓮宗本行寺で寫樂の墓を發見した其れによると寫樂の法名は寳蓮院繹蛙水居士と云ひ歿年は明治十一年五月十八日で猶ほ其の墓石の塁石には春藤氏と記されてあると云はれるがこの歿年月日は誤りでないかと云はれる(浮世繪)


http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/kensaku/hagayaiti/haga0438.html

シヤラク 寫樂 浮世繪師。通稱齋藤十郎兵衛(一に八郎兵衛)。阿波侯の能役者。東洲齋と號す。



PDD図書館獨澄旻さん)の人名辞典に項目あり。
http://www.cnet-ta.ne.jp/p/pddlib/biography/frame.htm

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