片山潜

個人情報保護法は「生存する個人に関する情報」が対象ですが、ここの人物情報は、故人の情報が殆どです。そうでない人についても公的な情報しかありません。 国語史グループとの差別化も考えて、オープンにしました。

片山潜

PDD図書館獨澄旻さん)の人名辞典(http://www.cnet-ta.ne.jp/p/pddlib/biography/frame.htm )に次のようにある。

かたやま せん(1859(安政 6.12. 3)〜1933.11. 5(昭和 8))◇社会主義評論家。幼名は藪木(ヤブキ)菅太郎、号は深甫。1877.10.(明治10)片山幾太郎の養子となる。1880(明治13)岡山師範に入学、翌年退学し上京、活版所の職工となる。1884(明治17)渡米、労働生活中にキリスト教徒となる。カリーヴィル・グリンネル・エールの各大学で社会学と神学を学び、1896(明治29)帰国。1897(明治30)岩崎清七の世話で横塚フデと結婚、神田三崎町にキングスレー館をひらいてセツルメント事業を始める。「労働世界」を創刊し、主筆となる。1901. 5.18(明治34)安部磯雄幸徳秋水河上清木下尚江西川光二郎らとともに社会民主党を結成、二日後に結社を禁止・起訴される。1903.12.(明治36)再度、渡米。1904(明治37)日露戦争勃発にあたり、第二インターナショナルがアムステルダムで開催した万国社会党第六回大会に出席、ロシア代表のプレハーノフとともに反戦を訴える。1906(明治39)堺利彦西川光二郎森近運平田添鉄二らと日本社会党を結成、評議員となる。1907(明治40)日本社会党第二回大会で直接行動派(幸徳秋水ら)と議会政策派(片山・田添・西川ら)に対立。大逆事件後も一貫して労働運動を指導し、東京市電争議で重禁固刑になる。1912. 9.(大正元)大赦により出獄。1914(大正 3)米国へ亡命。1919(大正 8)アメリカ共産党に入党。1921(大正10)ソビエトに入国、コミンテルン執行委員として活動。敗血病のためモスクワで客死。(?)幼名は藪木(ヤブキ)菅太郎。 ????(11)幼名は藪木管太郎。

* はてなダイアリーキーワード:片山潜