竹村鍛

個人情報保護法は「生存する個人に関する情報」が対象ですが、ここの人物情報は、故人の情報が殆どです。そうでない人についても公的な情報しかありません。 国語史グループとの差別化も考えて、オープンにしました。

竹村鍛

竹村鍛「大和田氏の日本大辞典と藤井草野両氏の帝国大辞典とを評す」(『帝国文学』三巻一号、一八九七(明治三〇)年一月号)。

竹村鍛辞書編纂業の進歩及び吾が国現時の辞書」(『帝国文学』四巻一〇号、一八九八(明治三一)年一〇月号)『松窓余韵』所収

遺著『松窓余韵』一九〇三(明治三六)年、芳賀矢一刊、

近代デジタルライブラリー

見坊豪紀日本語辞書(2)」(岩波講座日本語9)によれば、

正岡子規の追悼文によれば、竹村は松山市の儒者河東静渓の三子。竹村氏を継ぐ。俳人河東碧梧桐は末弟である。竹村は神戸師範学校、東京府立中学校教官を経たのち、辞書編集の志を抱いて冨山房に入社したが果たさず、一九〇〇(明治三三)早春、女子高等師範学校の教授となる。そして翌一九〇一(明治三四)年二月一日死去した。

『冨山房五十年』の「物故社員及び社友」にも、名が載る。